2017年4月25日火曜日

この胸のときめきを


You Don't Have to Say You Love Me
/Elvis Presley


<この胸のときめきを>は、1965年のサンレモ音楽祭で歌われたイタリアの楽曲だったのを、イギリスで女性シンガー、ダスティ・スプリングフィールドがカヴァーして大ヒット。
当初黒人シンガーと思われたが白人と知ってびっくりしたという。エルヴィスがデビューした時と同じ反応が起こったいうわけです。





のちにラスベガスのステージに立ったエルヴィス・プレスリーもカヴァー、シングルリリースされて大ヒットした曲。

エルヴィスにはイントロなしで歌い始めるケースが多くありますが、失恋のバラード<この胸のときめきを>は、それがハマって切ない男の慕情をアピールする迫力のある仕上がりになっています。エルヴィスならではのブラッキーな味わいをお楽しみください。



君が必要だといった時、
君はいつでもそばにいると言ってくれた
変わったのは僕ではない 君さ
そして君は ここにいない

君がいなくなって
僕ははひとり
君を追いかけて
戻って欲しいと言ってもいいのか
分らないんだ

 


愛していると言わなくていい
ただそばにいて
ずっといてくれなんて言わないさ
分っているよ
信じて 信じておくれ
この胸のときめきを
信じておくれ
君を束縛しないから

思い出と共に一人残されて
僕の人生は死んだも同然 ないに等しい
残されたのは寂しさだけ
何も感じることも出来ないんだ










2017年4月23日日曜日

ジャスト・プリテンド / エルヴィス・プレスリー



Just Pretend - Elvis Presley 

1956年、異様な人気でロックンロールを牽引。特別な存在となったエルヴィス。
プレスリーの未来を予見するものは誰もいませんでした。
あのシナトラでさえ「あんなチンピラ、すぐに消えるさ」とやっかむのがやっとで、ハリウッドの大物プロデユーサー、ハル・B・ウオリスさえ契約こそ交わしたもののいったいどんな映画を作品にすればいいのか分からず、20世紀フォックス社に貸し出したほどでした。

肝心のレコ−ド会社すら、全米ヒットチャートナンバーワンヒットになったものの、どう売ればいいのかよくわかっていませんでした。
アルバムをリリース、ミリオンヒットしたものの、買い手である若者はおカネがなく、結局、全部シングルリリースにしたところ、今度は需要に追いつかず慌てて他社のレコード工場を借りるという異常事態。

世の中は「ロックンロール」と「エルヴィス・プレスリー」をマネジメントできる仕組みがなかったことに気がついたのです。
それを誰よりも思い知らされたのは、マネジャー、トム・パーカーでした。
彼も自分が契約した「エルヴィス・プレスリー」の扱い方を知らなかったのです。
わかっていたのはその才能をカネと交換することでしたが、賢明な方法を見いだせないまま、自分の想像できる範囲でカネのなる木に最大の成果を求めようとしました。

そのひとつが映画出演契約です。シナトラでさえ「あんなチンピラ、すぐに消えるさ」と言ったように、誰もがいつまで人気を保持するのか懐疑的であっても不思議ではなかったでしょう。長期の映画出演契約を交わせば金は入って来ると思いついたのです。この契約のためエルヴィスは10年間ハリウッドに拘束されます。

数年後、後からやってきた者はロックンロールとの付き合い方、音楽産業はどうあるべきか、みんなエルヴィスから学んだのです。

1960年代、ハリウッドを中心に活躍したエルヴィス・プレスリーは、淡々とこなし、音楽はサウンドトラック中心となります。それでもエルヴィスの人気でアルバムは売れ、シングルカットしたものはA,B両面がチャートにランキングされ続けました。

やがてビートルズらブリティッシュバンドの大襲来が起こりましたが、エルヴィス人気は絶大さを示し続け、対抗策にサントラ以外に古いアルバムからシングルカットしたものがリリースされました。

事態が変わったのは、ベトナム戦争からです。
もはや能天気な内容の音楽は、若者の心を捉えなくなり、ドラッグが流行り、後押しするような音楽や映画は主流に変わりました。若者の価値観はドラスティックな変化を見せたのです。

ボブ・ディランが登場し、メッセージ性の強いフォークが中心になっていきました。サーフカルチャーを得意としたビーチボーイズも変化し、後を追うようにビートルズも変化しました。ブリティッシュバンドの多くが衰退し、サブカルチャーは激変しました。

エルヴィスの映画も動員力を失いはじめ、誰もがエルヴィスの扱いがわからなった頃、持ちこち込まれたのはスーザン・ストラスバーグとの共演作品「スター誕生」でした。

エルヴィスは乗り気でしたが、唯一無二の存在であるエルヴィスが絶対主役でない映画には出せないと拒否しました。そうするうちに長期契約が終わりを迎え、エルヴィスはハリウッドから解放されました。

そこに舞い込んだのがクリスマスの特番テレビライブでした。エルヴィスは血へどのが出るようなパフォーマンスで、50年代のエルヴィス・プレスリーのようなカムバックをはたし、その本領を発揮。エルヴィスこそが本物と全米から賞賛と喝采を浴びました。

その勢いのまま、若い時に散々な目にあったラスベガスのステージにキングとして挑戦し復活。その姿は映画「ELVIS :THAT’S THE WAY IT IS(これこそ、エルヴィスに決まってるじゃん!)」というドキュメント映画に収録され大ヒットになりました。

サントラ用のレコーディングに辟易していたエルヴィスは、「これからは自分が歌いたいものを歌う」と宣言。70年代のエルヴィスはカントリーに傾斜していきます。

エルヴィスの血であり肉となっていたものです。
ロックンローラーとして華々しく成功するより、ずっとずっと前の貧しく辛い時代を支えた音楽たち、ゴスペルでありカントリーでした。

エルヴィスは育った環境のせいもあって、白人音楽を歌うと黒人が歌っているように聴こえました。
逆に黒人音楽を歌うと白人音楽のように聴こえます。それがエルヴィスらしい自然な姿です。
多くの白人ミュージシャンは黒人音楽をやると黒人のように歌おうとしますが、どうしたってできません。
そこにわざとらしさが滲み出てしまいますが、エルヴィスはいつでもエルヴィスのままです。まさしく「ELVIS :THAT’S THE WAY IT IS」なのです。

カントリーでも素晴らしい傑作をたくさん残しています。
<ジャスト・プリテンド>もそのひとつです。
この曲と向かい合うと、ある強い思いにかられます。


 
エルヴィスがね、
その温かい心の戸棚の奥から、勇気を取り出してきて
目の前に置いてくれるような感じがするのです。
丁度イントロが、エルヴィスがそれを取り出しに行く足音のようです。

先行きさえ見えない真っ暗闇な恋の世界。
ポツンと、「ジャスト・プリテンド/Just Pretend(ふりだよ)」と灯りを落とします。


しばらくの間、離れるけれど、心から愛しているよ。
離れ離れの二人が離れ離れでも愛してあっているのはふりなんだよ。
だって俺たちはいつも一心同体が自然なんだから。





「ジャスト・プリテンド/Just Pretend」は、一心同体のふたりが離れ離れの恋人を演じてるだけという歌です。

一切の説明をなしに、それを行間に込めてエルヴィスは歌います。
とても難しい歌です。
否定的ないっさいを否定する明かりが広がり、暗闇に希望の花が咲く。
一輪。
・・・そして二輪・・・・
 
やがてエルヴィスは全身をバネにして、こぶしには力がみなぎります。
渾身の祈りをもって決して負けない世界のあることを示し続けていきます。
愛の奇跡を信じる力がリアリティを帯びていきます。

 
 ♪ もう泣くのはおしまいさ
      君を抱きしめ、愛してあげる ♪

この部分を何度も、渾身の力で歌います。
その歌声には、寂しささえも引き裂くような痛みを、
正面から受け止め引き受け
身体いっぱいの微笑みで応える者の
痛みがあるように聴こえるのは気のせい?

大丈夫、君はきっとうまくやれるさと言ってるようです。
 <ジャスト・プリテンド/Just Pretend>・・・不安を葬る満面の笑みを感じてクラクラします。

時には、人によっては、
宝物のように大切なものを守り抜くために、
ふりをする、とぼける、偽るしかない場合があります。
ふりをする必要がない場合でさえ、そうしかできない人もいます。

人は誰でもこんなやさしさで励まされたら、少しは頑張れる。
少し頑張れたら、少しはもう少しになり、もう少しはやがて力になっていく。
・・・ふりをしなくてもいい時を迎えることができるかも知れない。

人を守ってあげたいと思ったことのある人には、きっと通じる気持ち。

きっとエルヴィスは、そう信じて歌っているに違いない・・・
音の間から、そんな気がする誠実さが響きます。
熱唱はその心を形にしている唯一かも知れません。

エルヴィス・オン・ステージ / スペシャル・エディション」での
<ジャスト・プリテンド/Just Pretend>

・・・山場で、すごくいい笑顔をするでしょう 。 
あの笑顔こそこのパフォーマンスの心だと思いますね。

 
決して優れた楽曲とは思わないのですが、エルヴィスの力で曲は花開きます。
エルヴィスの心の入れ方、出し方に心酔する。
力強いやさしさが美しい。






なぜ、今頃になって、世界の有力なミュ−ジシャンたちがこの歌を「共演」という形でとりあげるのか、それは稀有なベストパフォーマンスであるとともに、それを成し遂げている魂に触れるからだと思います。

先行きさえ見えない真っ暗闇な恋の世界。
エルヴィスは、ポツンと「ジャスト・プリテンド/Just Pretend(ふりだよ)」と灯りを落とします。

俺たちはいつも一心同体なんだから。


行間込めた想いが、胸をこぶしで叩きます。




 

ワンダー・オブ・ユー:エルヴィス・プレスリー・ウィズ・ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団の重厚な演奏をバックにした<ジャスト・プリテンド>も聞き応えたっぷりです。


エルヴィスがいた。

2015年12月30日水曜日

明日は来ない/Tomorrow Never Comes



明日は来ない/Tomorrow Never Comes

Ernes Tubb アーネス・タプJohnny Bond ジヨニ・ポンドのコンビで作られた古い曲を、エルヴィス・プレスリーがアルバム『エルヴィス・カントリー』でカヴァーした。


Oh you tell me that you love me
Yes you tell me that you care
That tomorrow we'll be married, oh
But tomorrow's never there

Oh tomorrow never, never comes
Oh tomorrow never comes
Now you tell me that you love me, oh
But tomorrow never comes

Many weeks now have I waited
Oh many long nights have I cried
But just to see that happy morning, happy morning
When I have you right by my side

But tomorrow will never come, oh no, no
Tomorrow never gonna come
Now you tell me that you love me
But tomorrow never, never comes
So tomorrow I'll be leaving
Yes tomorrow I'll be gone
But tomorrow you'll be weeping, oh
But tomorrow will never, never come

Well tomorrow will never, never come
Oh no, tomorrow ain't never gonna come
Yeah, yeah, you tell me, you tell me
That you love me, but tomorrow never comes


新しい年はやってくるのに、
願いは叶わない、見込みもないとしたら、痛い。

ここでは断じて明日は来ないとエルヴィスは歌う。それでも希望が匂う。
歌詞と曲調に乖離があるので、とっても難しい歌です。

アメリカンポップスには、歌詞のイントネーションで歌詞と違う意味を伝えようとする場合が少なくない。

ここでは君が言うような明日は来ないが、しかし自分の力で来させて見せると言っているように聞こえる。エルヴィスのイノセンスが光る歌だ。

来ないのは決めないからだ。決断しないからだ。
明日は来ない/Tomorrow Never Comesでのエルヴィスの歌声は毅然として美しい。




以下は、『ワークス・オブ・エルヴィス』から引用。

1936年にレコーデイングをスタートさせたアーネスト・タブは、40年代から50年代にかけて<Soldire’s Last Letter> 、< It 's Been So I Long Darling>ほか多数のヒを放ち、レッド・フォーリーとともにデッカ・カトリーを築き上げた(ふたりのデュオでもト作がある。

もちろん60年代から70年代にかけても着実な活動をロレツタ・リン、ウィリー・ネルソン、マール・ハガード、チャールズ・ダニエルズなどと共演。このナンバーはそのアネスト・ダブの歌4 5年にカトリー・チートの5 位を説草。その後66年にB. J. トーマス(HOT100) 71年にスリム・ホイットマン(カントリー)でリパイパルしている。

エルヴイスらしいしかりとしたアレンジカントリーを基本にしたポピュラー・ソンとして完成されている。
70年10月にコーラス/・インペリアル・クワルテのオバー・ダブ。

O

2015年12月16日水曜日

ウォーク・ア・マイル・イン・マイ・シューズ / WALK A MILE IN MY SHOES



ウォーク・ア・マイル・イン・マイ・シューズ
WALK A MILE IN MY SHOES

自分を正しく理解するためには、意識的、無意識的に関わらず外に露出した具体的な自分の行動を理解することが必要です。客観的に、行動を把握して、はっきりと評価ができるような形で、図式化、すなわちエゴグラムを作成して冷静に分析することが重要です。



三つの心の内、P(親の心)とC(子どもの心)は、それぞれ、厳格な父親の心と保護的な母親の心、自由な子どもの心と従順な子どもの心に分かれますので、5つの心があることになります。

これら5つに分類した設問のなかに、合理的な質問が多く並んでいる「大人の心」があります。そのなかに、「空に浮かぶ雲を見てなにか連想しますか?」というのがあります。

「気楽だな」とか「ロマンチックなことだな」と思う方もいると思います。

そういうふうに捉える方は、内観が浅い方だと思います。「一を聞いて十を知る」という諺があります。物事の一端を聞いただけで全体を理解するという意味で、非常に賢く理解力があることのたとえとして使われてきた言葉です。

会話をしていて、ものすごく底の浅い方に出会うことがあります。人それぞれだから、私がいちいち文句をいう筋合いのものではありませんが、その種の方に「自分おの生き方」にゴチャゴチャ言われると心外です。

自分がリスペクトしているわけでもないので、なにを言われてもどうでもいいのですが、宝物のように大事にしている想いについて言及されると、流石に良い気分になることはありません。

姿カタチは同じ人間の体裁をしていますが、まったく別の生き物のように思うことがあって、そんなとき、ものすごく悲しい気分になります。特にその方の善意や自分への愛情があって言われると、救いがなく傷つくのです。




エルヴィス・プレスリーの歌に「ウォーク・ア・マイル・イン・マイ・シューズ(WALK A MILE IN MY SHOES)」というのがあります。

この曲はまさしくそういった心境を歌ったものです。




コミュニケーションとは、「事の本質を知る」こと、つまり「理解する」ことから始まります。内観も外観もなく、自分の価値観だけで、しかもそれでいて自分は善良だと思い込んでいて、コミュニケーションするとは、暴力に近いのです。




その人の靴をはいてみないと分からないことがある。つまりどんな生き方を強いられたのか、その人しか分からないのです。その人の靴をはいて考えることが愛であり、それを履く理由があれば、脱ぐ理由もあるのです。
男女の愛は、その延長にあります。

だからこそ、その価値観や生き方が他人に理解されなくても、二人が理解しあっていればいいのです。その価値観に自信をもち、二人で目標に挑み、愛を育むことが大切なのだ。間違っても内観することもなく氾濫する広告に踊らされるような価値観に身売りしてはいけない。

君にだけは、歩きやすい靴を見つけてあげたいのです。











2015年10月17日土曜日

Elvis Presley - I really don't want to know

知りたくないの I Really Don’t Want to Know


知りたくないの 
I Really Don’t Want to Know


最初に言っておきましょう。YESが切ないエルヴィスの「知りたくないの」は格別です。

カントリーはいつの時代もアメリカ・ポップシーンの中心にあり、現在のそれを支えているのは人気、実力ともに最高のGarth BrooksやGeorge Strait、美貌の歌姫Shania Twainなどのビッグ・アーティストたち。

チャンピオンGarth Brooksの観客と一体になったコンサートは見事。ビリー・ジョエルなどもゲスト参加し、創造的なサウンドを披露していて、カントリーは進化し続けている。そのニューカントリーの原型とも言えるのが、アルバム『エルヴィス・カントリー



 

 70年代、ロック・ティストのカントリーのことを『レッド・ネック・カントリー』と呼んでいた時期がある。エルヴィスは多くのカントリーを歌っているが、何を歌ってもエルヴィス・ティストにしてしまう。まさしく『エルヴィス・カントリー』なのだ。したがってアメリカ人の感覚には彼がカントリーを歌っているという意識は薄いように思われる。何をやってもエルヴィスはエルヴィス、彼のサウンドなのだ。さてこのアルバムは歌にカムバックしたエルヴィスがノリに乗ってる感じが伝わる快作!


2歳のかわいいエルヴィスが収まったジャケットは、ナッシュビルで録音された。尻尾の先まで餡がつまったようなアルバム。う~~~ん。なるほどノン・ストップ、曲間にまで一曲を切り刻んで詰め込んだ贅沢さなのだ!

そもそもカントリーはマッチョな連中が好んで聴いているカテゴリー。NBC-TV SPECIALでステージにカムバックする直前にシングル・リリースされたカントリー・ロック<U.S.MAIL>のイントロ部分のナレーションにもあるように「オレはミシシッピーが合衆国になった日に生まれた。だからアメリカの男だ」というような調子こそが、カントリーの基調。Garth Brooksも同じように「アメリカ男」を強調している。つまりアメリカ人がアメリカ人であるために欠かせないのだ?!

そういうこともあってか、ここでは甘さ控え目、ビターなエルヴィスがいろんなバリエーションで堪能できる。決して単調にカントリー・ティストにまとめているわけではなく、曲ごとに様々な変化を出していて見事!!お見事!エルヴィス万才!やっぱりキングだ!





その実力は<知りたくないの/I Really Don't Want to Know>で遺憾なく発揮されている。

<知りたくないの/I Really Don't Want to Know>は、1954年に発表されたエディ・アーノルドのオリジナル、1965年にはぺりー・コモも取り上げ、エルヴィスの後には1991年にレス・ポールがカヴァーしている。なかにし礼氏のオリジナル訳詞を菅原洋一氏のカヴァーで日本でも大ヒットしたC&W で、どこのカラオケにもあるが、同じ曲とは思えないほど男臭さに満ちた熱唱をには胸の奥がジーンと熱くなる。シングル・リリースされている。


いくつの腕が君を抱き
君を引きとめようとしたことか
いくつの、一体いくつの...
けれど、そんなこと知りたくはない

いくつの唇が君に接吻をし
君の心を燃え上がらせたことだろう
いくつの、一体いくつの...
けれど、そんなこと知りたくはない

こんなことに、いつも心痛め悩ませる
いつも想像をしているけど
僕が尋ねたとしても
愛しい人よ、どうか答えないで

ただ君だけの秘密にしておいてくれ
それほど君を愛しているのだから
どうしてなのか、不思議ではない
けれど、そんなこと知りたくはない


エルヴィスはオリジナルの歌詞に引き裂かれたアンビヴァレンスな情念<両価感情>をぶつけます。

まず、いきなりOh,howにやられます。


ワンコーラス目はしっとりと、

されど、キスする姿を想像する狂おしさが、歌詞にないアドリブのYESが切なく、

荒々しさの中にラストコーラス
 No Wonder year no wonder
では、心に落ちる大粒の涙が・・・

うなだれて、立ち上がる男の背中を女はどう見るのでしょうか。


How many arms have held you
And hated to let you go?
How many, how many, I wonder
But I really don’t want to know

How many lips have kissed you
And set your soul aglow?
How many, oh how many, I wonder
But I really don’t want to know

Always make me wonder
Always make me guess
And even if I ask you
Darling don't confess

Just let it remain your secret
'Cause darling I love you so
No wonder, no no wonder, I wonder
But I really don’t want to know



2014年10月11日土曜日

雨のケンタッキー / KentuckyRain




雨のケンタッキー /
Kentucky Rain


あなたがいればスープも暖炉もいらないかも知れない。
多分この男なら言うだろう。





あの映画『グレイスランド』につながっているような曲だ。

それを彷佛させる内容だが、こちらはもっとハードボイルドだ。

なにしろ土地は広大だ。
凍てつく寒さはココロを突き刺す。

雨のケンタッキー

雨垂れのようなイントロ。

Seven Ionely days and a dozen towns ago
l reached out one night and you were gone 
Don't know why you'd run 
What you're runnmg to o r from 
All I know Is I want to bring you home


七日間の孤独な日々、幾つもの町を探し歩いた
あの夜、手を伸ばしたら、君がいなくなっていた
僕には分からない、なぜ、君が去ったのか
何処へ行こうとしているのか
分かっているのは、僕が君を連れて帰りたいことだけ


雨のケンタッキーで、男は7日間を振り返る。


Seven Ionely days and a dozen towns ago

出所したばかりの男、カーニバルの一団、麻薬中毒者、長距離トラックのドライバー、バックパッカーの外国人、呑んだくれの教師、二人旅のきれいな女、リタイヤした男性と連れ添いのグループ、クルマ泥棒、田舎を捨てて駆け落ちした二人、朝飯を食ってる警官。様々な男たち、女たち。


土地の者しか来そうにない酒場、朝のパンを売る店のストーブ、終夜営業の食堂等が、道路に現れては消える。

男は湯も出ない眠るだけの宿で、終わることのない「なぜ」を考え続ける。ぐるぐる回る過去とあてのない明日。わずかに分かっていることは消えた女への切ない感情だけだ。
手にしていたものは、日ごとに路上にこぼれていく。


流浪の旅。
Seven Ionely days 哀愁をおびた少し疲れたようなエルヴィスの低音でこのドラマは始まる。
l reached out one night and you were gone
幸せと不幸が交叉した夜を思い起こす。いつもと何も変わらなかった。
やさしい仕種。思い遣り。どうってことのない会話。朝の日ざしまであと数時間だった。
いつもと同じのなんでもないが、大事な日々が続くはずっだ。
そこにあるはずのやさしい肌の感触がない。音もなく断ち切られた日常。あの夜さえなければ。
夜を憎むような声が
night にこめられている。


Don't know why you'd run 

何が悪かったのか、それさえ分からないまま。考えても考えても理由が分からないのは生き地獄だ。


What you're runnmg to or from
All I know Is I want to bring you home


どこへ行こうとしているのか?もしかして来た場所に帰ろうとしているのだろうか?
どこから来たのか。
bring you home 確かな誠実とやさしさに満ちた声、確かであればあるほど悲しみは深い。エルヴィスらしい声が響く。「いつかきっと」とっても純朴だ。連れ帰ったところであの日常が帰る保証はない。しかしそんなことは考えたこともない声だ。


So I'm walklng In the raln
Thumbing for a rIde
On thls lonely Kentucky back road
l've loved you much too Iong 
My love's too strong to let you go
Never knowing what went wrong

だから、僕は雨の中を歩きつづける
親指を突き出してヒッチハイクしながら
この淋しいケンタッキーの裏通りで
あまりに長く、あまりに強く、君を愛してきて、
君なしでは生きられない
何がいけなかったのか知ることもないままに

So I'm walklng In the raln
Thumbing for a rIde
On thls lonely Kentucky back road

こんな裏通りになぜいるのか?決して友好的な町ではない。
クルマには弾丸、間違ってドアでもノックしたら刺されかねない。
こんなところでは誰も拾ってくれない。
救済を求めながら呪っている。
いつの間にか人相まで変わってしまった。

l've loved you much too Iong
My love's too strong to let you go
Never knowing

つい先日まではこの世界は楽しく美しく思えた。
男は愛する女のことを考えることで自分のことを考えずにすんだ。無言の内に消えた女によっていま、自分は何者なのか、何をするために生きているのか。突き付けられたその呪縛から逃げるように旅に出た。考えるのは「君」のことばかりだ。路上に捨てていくのは「自分」の断片。しかし「自分」が「君」になってしまった男には捨てても捨てても目の前には「君」である「自分」があらわれる。淋しい自分を追い払うために「君」を探す。

what went wrong

「そうだ、オレが何かしたんだ」と男は考える。
誰も他者の心には踏み込めない。支配できないことを思い知らされている。
片方で自分の心にさえ踏み込めないことを知らされる。
いつも一緒に行動し、考え、暮らして来たにもかかわらずふたり、なにより自分を遮断する闇がある。


ありきたりと思えた暮らしでさえ、幻でしかなかったのか?
一瞬にして崩れ去った日常。
エルヴィスは悲しみに沈んでいられない気持ちとそれでも襲って来る悲しみを見事に優美な声に集約して聴かせる。悪魔さえ愛している声だ。

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Kentucky raIn keeps pouring down
And up ahead's another town
ThatI,ll go walkIng through
Wlth the rain in my shoes
Searching for you
In the cold Kentucky rain 
In the cold Kentucky rain 

ケンタッキーの雨が、激しく降りしきる
目の前には、別の町
その町に、僕は歩いていく
靴に謬みこんだ雨と共に
君を探し求めて
ケンタッキーの冷たい雨の中を
ケンタッキーの冷たい雨の中を

Kentucky raIn keeps pouring down


冷たいケンタッキーの雨が降り続けている

And up ahead's another town


毎日同じことが繰りかえされる。日常とはそんなものだが、ここにあるのは日常ではない。
こんな日々は日常になるのかと寂寞感が全身を襲う。足下へ血とともに落ちていく。
エルヴィスは慕情と無情を一瞬の<静寂>で鮮やかに対比してみせる。
そこに天使がいるのか、それとも悪魔が微笑んでいるのか。ためらいの静寂。

ThatI,ll go walkIng through<静寂>
歩いていくのが正しいのか、寒さと風景がめまぐるしく変化する中で根気が薄れそうになる。

静止し、考える。
ためらう。
路上に捨てるのか。
淋しさが全身を駆け抜ける、
空虚。

Wlth the rain in my shoes<さらに静寂>


焦り、苛立ち、淋しさ、不安、かすかな希望。
靴には雨が住みついた気分。
血さえ雨のように冷たく感じる。
女性コーラスが男の足跡を見ていた空のようにうなだれながら、一緒に悲しんでいる。
かぼそい声だ、誰も男を助けてやれない。消えた彼女以外には。
静寂の後に、一番大事な瞬間が訪れる。

Searching for you


この瞬間のためにエルヴィスは歌っているようだ。
燃える心が冷えた空気を切り裂いて「審判の日」に向かって歩むことを決意する。
たとえそれが悪魔の使途の仕業であっても。
一生で出会う愛は決して多くない。失ってはならないと思えるものがあるなら歩くべきだ。
エルヴィスは判決を恐れながらも意志を示す声を爆発させる。

In the cold Kentucky rain
In the cold Kentucky rain 


雨は男の決意に比例して強くなる。無情だ。
男の意志など受け付けない、あざ笑うかのように激しくなる。
男は7日間で知った。
それに立ち向かおうとする声が響く。強くはない、しかし弱くもない。ただ前に進むだけだ。雨の中を。
この歌は「自分の生を生きろ!いくら悩んでも、いくら辛くても自分の生を生きるしかないのだから。」と呟いている。



Showed your photograph 
To some old gray bearded men 
Sitting on a bench outside a general store 
They said, yes, she's been here
But their memory wasn't clear 
Was it yesterday,
no wait, the day before

君の写真を見せた
雑貨店の外のベンチで休んでいた
白髪ヒゲの老人たちに
彼らは言った。うん、確かに、この女はここで見かけたと。
だがな、その記憶ははっきりしないな。
あれは昨日だったか、
いや待て、一昨日だったかもな。

Showed your photograph 
To some old gray bearded men 
Sitting on a bench outside a general store

outside、そうだ、あの時間を持て余した老人なら知ってるかも知れない。
かれらはここで日常をくり返し眺めながら過ごしているはずだ。
They said, yes, she's been here
「ひとりだったのか?」聞くのが怖い。聞かなければ。
どうやら旅を続ける熱情だけは無意味でなさそうだ。
かろうじて[日常]はまだそこにあるように思えた。

But their memory wasn't clear
Was it yesterday,
不安が高まる。またか、またなのか。

no wait

絶望。無慈悲な言葉。

この男には生きていることそのもののなのに、老人たちにはたいした問題ではない。
昨日テレビで、デボラ・カーの映画を見たのと変わらない。いや彼等にはデボラ・カーのほうが大事だ。
さっきまで言葉に力があった。
老人から発せられた言葉は老人の言葉ではなかった。希望が息づいて、力に溢れていた。
だが、どうだ、急速に言葉が死に絶えていく。輝きが消え去り、「見なかった」と同じ意味に変わっていく。
老人たちの皺は「そうやってネズミのように同じところを駆け回るしかないんだよ」と言ってるようだ。

the day before
エルヴィスはこの世の無情をその声から映像に変換して差し出して見せる。
この老人たちのような平穏な日々はやってこないのだと。
もしかしたらこの老人たちはわざととぼけて時間を楽しんでいるのかも知れない。
悲しいはずなのに透明なほどに美しい声。


Finally got a nde with a preacher man 
Who asked where are you bound 
On suoh a cold dark afternoon 
And we drove on through the rain 
As he listened I explained 
And he left me with a prayer that l'd find you

やっと、説教師の車に乗っけてもらった
こんなに冷たい暗い午後に一体、どこに行くのかね、
と彼は尋ねた
車は、雨の中を走り抜けていく
彼は、僕の話にじっと耳を傾け
別れ際に、彼女が見つかるようにと祈ってくれた.

Finally 


やっと。自分が何者なのか、自分以外の誰かと話すことで、思い出した。
この7日間、自分が話し続けて来たのは「自分」と「君」だけだった。
いつも目の前には君しかいなかった、どんな町の風景も看板も人も「君」にしか見えなかった。

got a nde with a preacher man
Who asked where are you bound
On suoh a cold dark afternoon


説教師の親切は彼の仕事柄か、それとも人としての優しさなのか?
いまの自分には、どうでもいいことだ。
「自分」と「君」以外の人を交わることで、自分も君もまだ存在していることが感じられる。
このクルマの中はひとときの「避難所」だ。

And we drove on through the rain


このままこのクルマがぶつかってそれで終わりになったら楽だと考えてしまう。
だが、説教師の運転はそういうことにもなりそうにない。
そんな気持ちを察したのか

As he listened I explained
And he left me with a prayer that l'd find you


とりとめのない言葉に相槌を打ちながら、聞いてくれた。
もしかしたら悪魔の使途かもしれない。
「そうして探し続けるんだ。くたばるまで。そう簡単に死なれてたまるもんか。」

右手の四つの指には「L・O・V・E」の文字の刺青。左手には「H・A・T・E」の文字が。
ロバート・ミッチャムが主演、南部を舞台にしたカルト・ムービー『NIGTH OF THE HUNTER』での説教師。母子家庭にとりついた狂気の説教師。深夜枠で放映されていた。(その成功で同じような狂気のキャラクターで「恐怖の岬』に主演、グレゴリー・ペックを追いかけ回した。後にデ・ニーロでリメイク。)

that l'd find you
雨は止みそうにない。
ふと思い直す。あの説教師はなにを見つけろといったのだろうか。
不吉な予感がする。


Kentucky raIn keeps pouring down
And up ahead's another town
ThatI,ll go walkIng through
Wlth the rain in my shoes
Searching for you
In the cold Kentucky rain 
In the cold Kentucky rain 
In the cold Kentucky rain 
In the cold Kentucky rain

ケンタッキーの雨が、激しく降りしきる
目の前には、別の町
その町も、僕は歩いて行く
靴に謬みこんだ雨と共に
君を探し求めて
ケンタッキーの冷たい雨の中を
ケンタッキーの冷たい雨の中を
ケンタッキーの冷たい雨の中を
ケンタッキーの冷たい雨の中を

Kentucky raIn keeps pouring down
And up ahead's another town
ThatI,ll go walkIng through
Wlth the rain in my shoes

状況はさらにひどくなるばかりだ。靴の中にはさらに雨が入り込んでくる。
「どうだ。もう諦めたいだろう。」と言わんばかりだ。
男はどしゃぶりの雨の中にひとりで立ち、考え、空虚を突き破りながら進んでいく。
苦闘こそが賞賛に価するとでも言わんばかりに。
探しているのは君なのか、自分の墓碑なのか、男以外には誰にも分からない。

静けさを突き破る力のまわりに途方もない寂寞感がまとわりついている。


Searching for you
In the cold Kentucky rain 


ブルースが雨のように降ってくる
バレンタイン・デーはこんな男のためにある。



老人たちが出て来て、男の希望を打ち砕くようなことを平然と言い、その後説教師が出て来て、最後がハッピーエンドでなければ、やはりあの説教師は悪魔でしょう。
雨垂れで始まり、この曲のラストはどう聴いてもどしゃぶりですから。


収録アルバム

●ゴールデンレコード第5集
●メンフィスレコード
●オン・ステージ1970 アップグレード盤(ライブ)
●50 WORLDWIDE GOLD HIT
●メンフィス・1969・アンソロジー/サスピシャス・マインド
●ラブソングス