2017年4月29日土曜日

想い出のバラード


Make The World Go Away 
      / Elvis Presley

かってトム・パーカー大佐がマネジャーをしていたエディ・アーノルドが歌って65年にカントリー・チャートナンバー1になった楽曲。1988年にグラミー受賞している。

さらに63年にはレイ・プライスでもヒットしているなど多くのミュージシャンが取り組んできた。

ハンク・コクラン作詞・作曲による1963年の作品だ。

エルヴィス・プレスリーは1970年6月5日にアルバム『ELVIS THAT'T THE WAY IT IS』に収録した<群集の中のストレンジャー>などと併せて録音したが、こちらは『エルヴィス・カントリー/ELVIS COUNTRY "I'm 10,000 Years Old"』のファイナル・チューンとして収録された。

ファイナルにふさわしい情感溢れるナンバーとなっている。


また死後1999年に来日記念アルバムとしてリリースされた『エルヴィス・ザ・コンサート/ELVIS THE CONCERT』にはライヴ・バージョンが収録されている。



ビデオ『ロスト・パフォーマンス』での真摯なエルヴィスの姿が胸を打つ。

<想い出のバラード/MAKE THE WORLD GO AWAY>は、世間を気にして別れたしまった、かっての恋人への慕情と後悔を歌ったものだが、決して過去に囚われているのではない。

もがきながらも、自分の内からこみあげる思いにしたがって明日に向かって突き進もうとする心情を全身全霊で歌うエルヴィスの凄さは生半可ではない。




誰に向かって歌っているのか?本当に聴衆に向かって歌っているのか?ふと、そんな疑問が過る程だ。言葉でない表現。

自分の気持ちを歌う、歌詞に気持ちを託しているわけでもなく、歌詞を超越した思いが聴衆と歌うエルヴィスとの間に存在している。何かを伝えようとしている。こんなにも一生懸命に伝えようとしている。

「誰に」という疑問はそれでも残る。
歌うことで、自分の気持ちを表現した。表現されたそれは多分、自分に伝えようとしているものだ。
エルヴィスという人は自分の中の音楽と自分を観に、聴きに来てくれる人や評論する人の反応のズレにとまどいながらも、歌っている瞬間において、すでに「自分」と「聴衆」さらには「評論家」の間の垣根もなかったのだろう。

垣根はないものの、そこには神々しいまでの尊厳が、最大の親しみをもって保たれている。それは<アメリカの祈り><偉大なるかな神>などのいかにも予め用意されたようなそれとは違う、さりげない<想い出のバラード>のようなところに真実はより強く宿っているように感じる。

ともすれば誰も気がつくことなく、見逃してしまうような原石の奥に佇む小さな小さなピュアな輝き。

ジェームス・バートンの奏でるサウンドに潜む光に聴き入るエルヴィス。その姿は「ほら、宝物見つけたよ。」と教えてくれているように見える。
「ねえ、みんな、凄いだろう。こんなに素敵なピカピカ見つけたよ」と自慢気に披露する。

ジェームスはエルヴィスにとって宝物を上手に探し出す悪友のような存在だ。おそらくリハーサルで何度もジェームスに「そう、その音」と嬉しそうに声をかけ、ジェームスが無くしていないか確認をする。

「それはみんなに見せなければいけないからね。」エルヴィスは聴くたびに、ひとり呟いたのだろう。--------「なくしちゃダメだよ。」

それはかって「僕の青い靴だけは踏まないで」と歌っていた頃とは違って、もう心あるものなら誰も踏みいることの出来ない魂の領域であり、それこそが真の「表現の自由」が屈託なく宿る場所なのだ。
そこに立ちながら「おいでよ、抱きしめてあげよう」と手を広げるエルヴィス、そして僕達は間違っても「青い靴」を踏まないように傍に近寄る。宝物を覗く。体温の温かさが伝わる。
そんな作業を何度繰り替えしてきたのだろうか?

このシンプルな「戦い」の楽曲を、この歌の主人公の涙以上の体温であたたためながら、歌う瞬間にエルヴィスは自身を含め、すべての人々に問いかけている、
あるいは問いかけたかったものは何だったのか?

それは分からないけれど、「美しい曲です」と語り熱唱するエルヴィスの気持ちがこんなにも熱かったことだけは真実なんだ。多分それだけは。

<想い出のバラード/MAKE THE WORLD GO AWAY>を見つめながら、「熱くなりたいな」と思い、「熱くなるんだ」と自分に檄を飛ばす。

そしてこのパフォーマンスは、
どんな人間にも守るもの
守りたいもの
はあるのだ
と勇気をくれる。


*世間なんか遠ざけて
僕の肩から振りはらって
昔のように囁きあおう
そう、世間なんか遠ざけて

覚えているかい、愛し合ってた頃を
世間がふたりをひきはなす前のことを
忘れてないなら許しておくれ
そして世間なんか遠ざけよう
*アドリブでくり返し
君を傷つけたのならあやまるよ
時間をかけて償おう
どうか僕を許してほしい
そして世間なんか遠ざけよう
*アドリブで2回くり返し



The Essential 70's Masters: Elvis


エルヴィスがいた。



2017年4月27日木曜日

アメリカの祈り


AN AMERICAN TRILOGY
アメリカの祈り

キング・オブ・ロックンロール、エルヴィス・プレスリーが世界初の宇宙中継だったハワイライブで歌った<アメリカの祈り>-------それは大きなキャンパスに渾身の思いで描かれた絵画に似て、「アーティスト」へ辿りついたエルヴィスが、人生の困難と格闘しながらも、プロフェッショナルはさらに前に進んでいること、それは稀有な個性に溢れたものであることを世界中に示した曲である。

あ、綿畑の広がる地に帰りたい
古き良きあの故郷に
見よ、はるか、はるか彼方のディキシーランドを

帰りたい、はるか彼方のディキシー
ディキシーに誓おう
ディキシーで生き、骨を埋めることを

ディキシーランドで私は生まれた
霜のおりたある寒い朝早くに
はるか、はるか彼方のディキシーランド

八レルヤ、栄光あれ
ハレルヤ、栄光あれ
ハレルヤ、栄光あれ
主の真実がやってきた

幼い赤ちゃん、泣くのはおやめ
父さんは死んでいくのだから
でも主よ、これでやっと試練が終わる

ハレルヤ、栄光あれ
主の真実がやってきた
主の真実がやってきた



15億人が見たと言われる全世界同時テレビ中継のハワイ・ライブによって初めて全世界に伝えられたエルヴィス・プレスリーの70年代を代表する名曲<アメリカの祈り>は、アメリカのトラディショナルな3曲『ディキシー』『共和国戦いの讃歌』『私の試練』によって構成された楽曲である。
編曲者はミッキー・ニューベリー。1971年に自身でもレコーディングしている。

1861年のアメリカ、(現テネシー州)アラバマで国家分裂。「騎兵隊」などウェスタン映画でもお馴染みの南北戦争である。

サウスキャロライナ、ミシシッピー、ジョージア、ルイジアナ、フロリダ、アラバマの南部の6州によって新しい国家『南部同盟政府 (C.S.A=THE CONFEDERATE STATE OF AMERICA)』が誕生した。

ジェファソン・デーヴィスを初代大統領に選任、州分権、奴隷制、自由貿易を唱えた民主党政治である。

ジェファソン・デーヴィス大統領就任の式典に歌われたのが、『ディキシー』である。そして南軍戦士を鼓舞する行進曲として使用された。

楽曲は北軍に属することになったオハイオ州のサーカス芸人ダニエル・D・エメットによって1859年にもともとはショウのために作られたもので南部の人々に親しまれていたものであった。ビング・クロスビーがエメットに扮した映画『ディキシー』も製作されている。戦争にあたっては歌詞を変更し曲調も男性的なものにアレンジされ使用された。戦争終結後は全米で広まった。
エルヴィスは西ドイツ時代にもアメリカ軍が演奏しているのを聴いている。

1861年3月。中央集権、自由主義、保護貿易を唱える北部共和党政権が支配していた連邦政府(U.S.A=UNITED STATES OF AMERICA)の大統領に就任したのは、丸太小屋で生まれたリンカーンだった。
リンカーンは連邦から離脱した南部に属する6州に対して連邦 への復帰をアプローチしたが、回答は4月12日の「砲撃」だった。南北戦争の始まりである。

同年北軍のための軍歌『共和国戦いの讃歌』が書かれた。ワシントンで女性詩人ジュリア・ウォード・ハウによって書かれたこの楽曲は、1968年ロバート・ケネディの葬儀に於いて、アンディ・ウィリアムスによって歌われたのはオールドファンには懐かしい記憶である。

さらにテネシー、ノースキャロライナ、ヴァージニア、アーカンソンの4州が連邦から離脱。11州となった『南部同盟政府』との内戦は、いまもってアメリカ歴史上最大である60万人を超える死者を出す悲劇となった。

4州が連邦から離脱したことで、意を決したリンカーンは、北部の急進的な意見を反映させ奴隷制度の廃止を行ったのは戦争中の1863年1月1日だった。

南北戦争の原因が「奴隷解放」にあったことが示されたことで、イギリスなどの評価も高まり、大義を抱いた北部軍の志気は一層高まり、勝利に邁進した。

1865年4月に南北戦争は北軍の勝利で終わる。南部から憎悪される象徴となったリンカーンは戦争終結わずか4日後の4月14日に暗殺される。

南北戦争が終わり、アメリカは「大西部時代」に突入する。ほとんどのウェスタン映画の背景となった時代の到来だ。
奴隷達は解放されたものの、財産も職もなく、結局は元の綿花畑に戻っていくしかなかった。北部のボランティアや北軍が駐留し黒人を援助したが、時の経過とともに、ダイナミックな変貌を遂げていく合衆国にあって、彼等も離れて行き、再び南部の空気が黒人たちを圧迫した。
フロンティア精神が輝きを増す一方、南部では南北戦争の敗軍の将が結成した秘密結社『クー・クラックス・クラン』、通称『KKK』が黒人ばかりか、北部の人々を恐怖に陥れた。

『私の試練』は作者不詳の歌い継がれてきたスピリチュアルソングである。パナマの民謡ともいわれ、ハリー・ヴェラフォンテ、ジョーン・バエズも歌っている。短い歌であるが、それだけに人間の思いが重く響いてくる「つぶやき」と言える楽曲である。

大陸横断鉄道が1869年に開通。1877年に蓄音機が発明され、1886年には自由の女神が建造された。産業革命の影響を受けた多くのヨーロッパからの移民が女神を求めるかのように急激に増加する。

その歴史は「与えられるより、自分で創る」に彩られている。批判だけして、行動しないことをよしとしない国民性は、生きる場所を言葉も通じない、風俗習慣も違う、新天地を求めた人々の精神によって培われたものだ。

20世紀になっても、黒人を擁護する大統領を非難したのも南部である。『黒人の魂』など人間は平等だと訴える学者が政府を批判する反面、1930年代まで、黒人を「劣等人種」と決めつける学者、科学者、ジャーナリストなどが全米で続出し、「平等」の思想を抑え込んだ。

エルヴィス・アーロン・プレスリーはそのような時代に誕生した。

心優しいエルヴィス少年が南部の風と水と太陽を浴びながら、「カラーズ」「ホワイトオンリー」などの看板が溢れている町で育っていった。綿花畑の光景は少年エルヴィスにはどのように映ったのだろうか。
通過するだけの旅行者であっても、南部と呼ばれるエリアには、明らかにL.Aなどの西海岸エリアとはまったく違った空気が流れているのを感じる。

エルヴィスは<アメリカの祈り>で、まるで司祭のようにステージをとりしきるパフォーマンスを見せる。それはある意味で茶番でもある。しかし南部に生を受け、生涯を南部で暮らし、その五体五感を通じて感じてきた文化、習慣、風俗。

その結果、アメリカそのものとなったエルヴィス・プレスリーが、終生、口にしなかった試練を黙々と忍び、乗り越えてきた自分に捧げるレクイエムとして、エルヴィスゆえに許されるパフォーマンスである。

そしてそれを見事に証明して、大いなる茶番を荘厳なものにして、なお余りある感動を与えているのは、驚愕であり、「これぞ、プロの真骨頂」を見せる。
それはエルヴィスにとって、とらえきれないほど大きな世界ではなく、エルヴィスが生きた世界であり、聴衆が存在している世界に他ならないからだろう。

アメリカの歴史は常に矛盾と希望の渾沌とともにある。その困難を克服できないままに、克服できる明日を信じて、自らを尊重するゆえに、個人個人である他者を尊重し、運命共同体として生きる時に生まれる矛盾と希望の渾沌が循環している。

エルヴィスの生きざまそのままでもある。

<アメリカの祈り>でのエルヴィスは個人の可能性の大きさを、自らの肉体を使いきり、使い切ってもなお表現できない自然という神の恵みである人の魂の可能性の雄大さをステージのすべてを極限まで使いきることで、命の貴さを示唆して、眩いばかりの勇気と愛の詩としている。

Oh, I wish i was in the land of cotton
Old times there are not forgotten
Look away, iook away, Iook away, Dixieland

Oh, I wish I was in Dixie away, away
In Dixieland l'll take my stand
To llve and die in Dixie

For Dixieland's where I was born
Early Lord, one frosty morn'
Look away, Iook away, Iook away, Dixieland

Glory glory, hallelujah
Glory glory, hallelujah
Glory glory, ha]Ielujah
His truth is march'n' on

So hush little baby, don't you cry
You know your daddy's bound to die
But all my trials Lord, soon be over

Glory glory, hallelujah
His truth is marchin' on

His truth is marchin' on

トランプ大統領は選挙前から、特に女性の受けがよく、アメリカ女性は外見的にエルヴィスに似た雰囲気があると見ていた。ずっと昔からそうで、トランプはセクシーだと評判だった。

「エルヴィスは地球上でもっともセクシーな男性だ」と言ったのはブリトニー・スピアーズで彼女自身、ラスベガスのライブでは宣伝用に白いジャンプスーツを着てみせた。

If I Can Dream: Elvis Pre


エルヴィスがいた。




2017年4月25日火曜日

この胸のときめきを


You Don't Have to Say You Love Me
/Elvis Presley


<この胸のときめきを>は、1965年のサンレモ音楽祭で歌われたイタリアの楽曲だったのを、イギリスで女性シンガー、ダスティ・スプリングフィールドがカヴァーして大ヒット。
当初黒人シンガーと思われたが白人と知ってびっくりしたという。エルヴィスがデビューした時と同じ反応が起こったいうわけです。





のちにラスベガスのステージに立ったエルヴィス・プレスリーもカヴァー、シングルリリースされて大ヒットした曲。

エルヴィスにはイントロなしで歌い始めるケースが多くありますが、失恋のバラード<この胸のときめきを>は、それがハマって切ない男の慕情をアピールする迫力のある仕上がりになっています。エルヴィスならではのブラッキーな味わいをお楽しみください。



君が必要だといった時、
君はいつでもそばにいると言ってくれた
変わったのは僕ではない 君さ
そして君は ここにいない

君がいなくなって
僕ははひとり
君を追いかけて
戻って欲しいと言ってもいいのか
分らないんだ

 


愛していると言わなくていい
ただそばにいて
ずっといてくれなんて言わないさ
分っているよ
信じて 信じておくれ
この胸のときめきを
信じておくれ
君を束縛しないから

思い出と共に一人残されて
僕の人生は死んだも同然 ないに等しい
残されたのは寂しさだけ
何も感じることも出来ないんだ










2017年4月23日日曜日

ジャスト・プリテンド / エルヴィス・プレスリー



Just Pretend - Elvis Presley 

1956年、異様な人気でロックンロールを牽引。特別な存在となったエルヴィス。
プレスリーの未来を予見するものは誰もいませんでした。
あのシナトラでさえ「あんなチンピラ、すぐに消えるさ」とやっかむのがやっとで、ハリウッドの大物プロデユーサー、ハル・B・ウオリスさえ契約こそ交わしたもののいったいどんな映画を作品にすればいいのか分からず、20世紀フォックス社に貸し出したほどでした。

肝心のレコ−ド会社すら、全米ヒットチャートナンバーワンヒットになったものの、どう売ればいいのかよくわかっていませんでした。
アルバムをリリース、ミリオンヒットしたものの、買い手である若者はおカネがなく、結局、全部シングルリリースにしたところ、今度は需要に追いつかず慌てて他社のレコード工場を借りるという異常事態。

世の中は「ロックンロール」と「エルヴィス・プレスリー」をマネジメントできる仕組みがなかったことに気がついたのです。
それを誰よりも思い知らされたのは、マネジャー、トム・パーカーでした。
彼も自分が契約した「エルヴィス・プレスリー」の扱い方を知らなかったのです。
わかっていたのはその才能をカネと交換することでしたが、賢明な方法を見いだせないまま、自分の想像できる範囲でカネのなる木に最大の成果を求めようとしました。

そのひとつが映画出演契約です。シナトラでさえ「あんなチンピラ、すぐに消えるさ」と言ったように、誰もがいつまで人気を保持するのか懐疑的であっても不思議ではなかったでしょう。長期の映画出演契約を交わせば金は入って来ると思いついたのです。この契約のためエルヴィスは10年間ハリウッドに拘束されます。

数年後、後からやってきた者はロックンロールとの付き合い方、音楽産業はどうあるべきか、みんなエルヴィスから学んだのです。

1960年代、ハリウッドを中心に活躍したエルヴィス・プレスリーは、淡々とこなし、音楽はサウンドトラック中心となります。それでもエルヴィスの人気でアルバムは売れ、シングルカットしたものはA,B両面がチャートにランキングされ続けました。

やがてビートルズらブリティッシュバンドの大襲来が起こりましたが、エルヴィス人気は絶大さを示し続け、対抗策にサントラ以外に古いアルバムからシングルカットしたものがリリースされました。

事態が変わったのは、ベトナム戦争からです。
もはや能天気な内容の音楽は、若者の心を捉えなくなり、ドラッグが流行り、後押しするような音楽や映画は主流に変わりました。若者の価値観はドラスティックな変化を見せたのです。

ボブ・ディランが登場し、メッセージ性の強いフォークが中心になっていきました。サーフカルチャーを得意としたビーチボーイズも変化し、後を追うようにビートルズも変化しました。ブリティッシュバンドの多くが衰退し、サブカルチャーは激変しました。

エルヴィスの映画も動員力を失いはじめ、誰もがエルヴィスの扱いがわからなった頃、持ちこち込まれたのはスーザン・ストラスバーグとの共演作品「スター誕生」でした。

エルヴィスは乗り気でしたが、唯一無二の存在であるエルヴィスが絶対主役でない映画には出せないと拒否しました。そうするうちに長期契約が終わりを迎え、エルヴィスはハリウッドから解放されました。

そこに舞い込んだのがクリスマスの特番テレビライブでした。エルヴィスは血へどのが出るようなパフォーマンスで、50年代のエルヴィス・プレスリーのようなカムバックをはたし、その本領を発揮。エルヴィスこそが本物と全米から賞賛と喝采を浴びました。

その勢いのまま、若い時に散々な目にあったラスベガスのステージにキングとして挑戦し復活。その姿は映画「ELVIS :THAT’S THE WAY IT IS(これこそ、エルヴィスに決まってるじゃん!)」というドキュメント映画に収録され大ヒットになりました。

サントラ用のレコーディングに辟易していたエルヴィスは、「これからは自分が歌いたいものを歌う」と宣言。70年代のエルヴィスはカントリーに傾斜していきます。

エルヴィスの血であり肉となっていたものです。
ロックンローラーとして華々しく成功するより、ずっとずっと前の貧しく辛い時代を支えた音楽たち、ゴスペルでありカントリーでした。

エルヴィスは育った環境のせいもあって、白人音楽を歌うと黒人が歌っているように聴こえました。
逆に黒人音楽を歌うと白人音楽のように聴こえます。それがエルヴィスらしい自然な姿です。
多くの白人ミュージシャンは黒人音楽をやると黒人のように歌おうとしますが、どうしたってできません。
そこにわざとらしさが滲み出てしまいますが、エルヴィスはいつでもエルヴィスのままです。まさしく「ELVIS :THAT’S THE WAY IT IS」なのです。

カントリーでも素晴らしい傑作をたくさん残しています。
<ジャスト・プリテンド>もそのひとつです。
この曲と向かい合うと、ある強い思いにかられます。


 
エルヴィスがね、
その温かい心の戸棚の奥から、勇気を取り出してきて
目の前に置いてくれるような感じがするのです。
丁度イントロが、エルヴィスがそれを取り出しに行く足音のようです。

先行きさえ見えない真っ暗闇な恋の世界。
ポツンと、「ジャスト・プリテンド/Just Pretend(ふりだよ)」と灯りを落とします。


しばらくの間、離れるけれど、心から愛しているよ。
離れ離れの二人が離れ離れでも愛してあっているのはふりなんだよ。
だって俺たちはいつも一心同体が自然なんだから。





「ジャスト・プリテンド/Just Pretend」は、一心同体のふたりが離れ離れの恋人を演じてるだけという歌です。

一切の説明をなしに、それを行間に込めてエルヴィスは歌います。
とても難しい歌です。
否定的ないっさいを否定する明かりが広がり、暗闇に希望の花が咲く。
一輪。
・・・そして二輪・・・・
 
やがてエルヴィスは全身をバネにして、こぶしには力がみなぎります。
渾身の祈りをもって決して負けない世界のあることを示し続けていきます。
愛の奇跡を信じる力がリアリティを帯びていきます。

 
 ♪ もう泣くのはおしまいさ
      君を抱きしめ、愛してあげる ♪

この部分を何度も、渾身の力で歌います。
その歌声には、寂しささえも引き裂くような痛みを、
正面から受け止め引き受け
身体いっぱいの微笑みで応える者の
痛みがあるように聴こえるのは気のせい?

大丈夫、君はきっとうまくやれるさと言ってるようです。
 <ジャスト・プリテンド/Just Pretend>・・・不安を葬る満面の笑みを感じてクラクラします。

時には、人によっては、
宝物のように大切なものを守り抜くために、
ふりをする、とぼける、偽るしかない場合があります。
ふりをする必要がない場合でさえ、そうしかできない人もいます。

人は誰でもこんなやさしさで励まされたら、少しは頑張れる。
少し頑張れたら、少しはもう少しになり、もう少しはやがて力になっていく。
・・・ふりをしなくてもいい時を迎えることができるかも知れない。

人を守ってあげたいと思ったことのある人には、きっと通じる気持ち。

きっとエルヴィスは、そう信じて歌っているに違いない・・・
音の間から、そんな気がする誠実さが響きます。
熱唱はその心を形にしている唯一かも知れません。

エルヴィス・オン・ステージ / スペシャル・エディション」での
<ジャスト・プリテンド/Just Pretend>

・・・山場で、すごくいい笑顔をするでしょう 。 
あの笑顔こそこのパフォーマンスの心だと思いますね。

 
決して優れた楽曲とは思わないのですが、エルヴィスの力で曲は花開きます。
エルヴィスの心の入れ方、出し方に心酔する。
力強いやさしさが美しい。






なぜ、今頃になって、世界の有力なミュ−ジシャンたちがこの歌を「共演」という形でとりあげるのか、それは稀有なベストパフォーマンスであるとともに、それを成し遂げている魂に触れるからだと思います。

先行きさえ見えない真っ暗闇な恋の世界。
エルヴィスは、ポツンと「ジャスト・プリテンド/Just Pretend(ふりだよ)」と灯りを落とします。

俺たちはいつも一心同体なんだから。


行間込めた想いが、胸をこぶしで叩きます。




 

ワンダー・オブ・ユー:エルヴィス・プレスリー・ウィズ・ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団の重厚な演奏をバックにした<ジャスト・プリテンド>も聞き応えたっぷりです。


エルヴィスがいた。