2014年10月11日土曜日

雨のケンタッキー / KentuckyRain




雨のケンタッキー /
Kentucky Rain


あなたがいればスープも暖炉もいらないかも知れない。
多分この男なら言うだろう。





あの映画『グレイスランド』につながっているような曲だ。

それを彷佛させる内容だが、こちらはもっとハードボイルドだ。

なにしろ土地は広大だ。
凍てつく寒さはココロを突き刺す。

雨のケンタッキー

雨垂れのようなイントロ。

Seven Ionely days and a dozen towns ago
l reached out one night and you were gone 
Don't know why you'd run 
What you're runnmg to o r from 
All I know Is I want to bring you home


七日間の孤独な日々、幾つもの町を探し歩いた
あの夜、手を伸ばしたら、君がいなくなっていた
僕には分からない、なぜ、君が去ったのか
何処へ行こうとしているのか
分かっているのは、僕が君を連れて帰りたいことだけ


雨のケンタッキーで、男は7日間を振り返る。


Seven Ionely days and a dozen towns ago

出所したばかりの男、カーニバルの一団、麻薬中毒者、長距離トラックのドライバー、バックパッカーの外国人、呑んだくれの教師、二人旅のきれいな女、リタイヤした男性と連れ添いのグループ、クルマ泥棒、田舎を捨てて駆け落ちした二人、朝飯を食ってる警官。様々な男たち、女たち。


土地の者しか来そうにない酒場、朝のパンを売る店のストーブ、終夜営業の食堂等が、道路に現れては消える。

男は湯も出ない眠るだけの宿で、終わることのない「なぜ」を考え続ける。ぐるぐる回る過去とあてのない明日。わずかに分かっていることは消えた女への切ない感情だけだ。
手にしていたものは、日ごとに路上にこぼれていく。


流浪の旅。
Seven Ionely days 哀愁をおびた少し疲れたようなエルヴィスの低音でこのドラマは始まる。
l reached out one night and you were gone
幸せと不幸が交叉した夜を思い起こす。いつもと何も変わらなかった。
やさしい仕種。思い遣り。どうってことのない会話。朝の日ざしまであと数時間だった。
いつもと同じのなんでもないが、大事な日々が続くはずっだ。
そこにあるはずのやさしい肌の感触がない。音もなく断ち切られた日常。あの夜さえなければ。
夜を憎むような声が
night にこめられている。


Don't know why you'd run 

何が悪かったのか、それさえ分からないまま。考えても考えても理由が分からないのは生き地獄だ。


What you're runnmg to or from
All I know Is I want to bring you home


どこへ行こうとしているのか?もしかして来た場所に帰ろうとしているのだろうか?
どこから来たのか。
bring you home 確かな誠実とやさしさに満ちた声、確かであればあるほど悲しみは深い。エルヴィスらしい声が響く。「いつかきっと」とっても純朴だ。連れ帰ったところであの日常が帰る保証はない。しかしそんなことは考えたこともない声だ。


So I'm walklng In the raln
Thumbing for a rIde
On thls lonely Kentucky back road
l've loved you much too Iong 
My love's too strong to let you go
Never knowing what went wrong

だから、僕は雨の中を歩きつづける
親指を突き出してヒッチハイクしながら
この淋しいケンタッキーの裏通りで
あまりに長く、あまりに強く、君を愛してきて、
君なしでは生きられない
何がいけなかったのか知ることもないままに

So I'm walklng In the raln
Thumbing for a rIde
On thls lonely Kentucky back road

こんな裏通りになぜいるのか?決して友好的な町ではない。
クルマには弾丸、間違ってドアでもノックしたら刺されかねない。
こんなところでは誰も拾ってくれない。
救済を求めながら呪っている。
いつの間にか人相まで変わってしまった。

l've loved you much too Iong
My love's too strong to let you go
Never knowing

つい先日まではこの世界は楽しく美しく思えた。
男は愛する女のことを考えることで自分のことを考えずにすんだ。無言の内に消えた女によっていま、自分は何者なのか、何をするために生きているのか。突き付けられたその呪縛から逃げるように旅に出た。考えるのは「君」のことばかりだ。路上に捨てていくのは「自分」の断片。しかし「自分」が「君」になってしまった男には捨てても捨てても目の前には「君」である「自分」があらわれる。淋しい自分を追い払うために「君」を探す。

what went wrong

「そうだ、オレが何かしたんだ」と男は考える。
誰も他者の心には踏み込めない。支配できないことを思い知らされている。
片方で自分の心にさえ踏み込めないことを知らされる。
いつも一緒に行動し、考え、暮らして来たにもかかわらずふたり、なにより自分を遮断する闇がある。


ありきたりと思えた暮らしでさえ、幻でしかなかったのか?
一瞬にして崩れ去った日常。
エルヴィスは悲しみに沈んでいられない気持ちとそれでも襲って来る悲しみを見事に優美な声に集約して聴かせる。悪魔さえ愛している声だ。

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Kentucky raIn keeps pouring down
And up ahead's another town
ThatI,ll go walkIng through
Wlth the rain in my shoes
Searching for you
In the cold Kentucky rain 
In the cold Kentucky rain 

ケンタッキーの雨が、激しく降りしきる
目の前には、別の町
その町に、僕は歩いていく
靴に謬みこんだ雨と共に
君を探し求めて
ケンタッキーの冷たい雨の中を
ケンタッキーの冷たい雨の中を

Kentucky raIn keeps pouring down


冷たいケンタッキーの雨が降り続けている

And up ahead's another town


毎日同じことが繰りかえされる。日常とはそんなものだが、ここにあるのは日常ではない。
こんな日々は日常になるのかと寂寞感が全身を襲う。足下へ血とともに落ちていく。
エルヴィスは慕情と無情を一瞬の<静寂>で鮮やかに対比してみせる。
そこに天使がいるのか、それとも悪魔が微笑んでいるのか。ためらいの静寂。

ThatI,ll go walkIng through<静寂>
歩いていくのが正しいのか、寒さと風景がめまぐるしく変化する中で根気が薄れそうになる。

静止し、考える。
ためらう。
路上に捨てるのか。
淋しさが全身を駆け抜ける、
空虚。

Wlth the rain in my shoes<さらに静寂>


焦り、苛立ち、淋しさ、不安、かすかな希望。
靴には雨が住みついた気分。
血さえ雨のように冷たく感じる。
女性コーラスが男の足跡を見ていた空のようにうなだれながら、一緒に悲しんでいる。
かぼそい声だ、誰も男を助けてやれない。消えた彼女以外には。
静寂の後に、一番大事な瞬間が訪れる。

Searching for you


この瞬間のためにエルヴィスは歌っているようだ。
燃える心が冷えた空気を切り裂いて「審判の日」に向かって歩むことを決意する。
たとえそれが悪魔の使途の仕業であっても。
一生で出会う愛は決して多くない。失ってはならないと思えるものがあるなら歩くべきだ。
エルヴィスは判決を恐れながらも意志を示す声を爆発させる。

In the cold Kentucky rain
In the cold Kentucky rain 


雨は男の決意に比例して強くなる。無情だ。
男の意志など受け付けない、あざ笑うかのように激しくなる。
男は7日間で知った。
それに立ち向かおうとする声が響く。強くはない、しかし弱くもない。ただ前に進むだけだ。雨の中を。
この歌は「自分の生を生きろ!いくら悩んでも、いくら辛くても自分の生を生きるしかないのだから。」と呟いている。



Showed your photograph 
To some old gray bearded men 
Sitting on a bench outside a general store 
They said, yes, she's been here
But their memory wasn't clear 
Was it yesterday,
no wait, the day before

君の写真を見せた
雑貨店の外のベンチで休んでいた
白髪ヒゲの老人たちに
彼らは言った。うん、確かに、この女はここで見かけたと。
だがな、その記憶ははっきりしないな。
あれは昨日だったか、
いや待て、一昨日だったかもな。

Showed your photograph 
To some old gray bearded men 
Sitting on a bench outside a general store

outside、そうだ、あの時間を持て余した老人なら知ってるかも知れない。
かれらはここで日常をくり返し眺めながら過ごしているはずだ。
They said, yes, she's been here
「ひとりだったのか?」聞くのが怖い。聞かなければ。
どうやら旅を続ける熱情だけは無意味でなさそうだ。
かろうじて[日常]はまだそこにあるように思えた。

But their memory wasn't clear
Was it yesterday,
不安が高まる。またか、またなのか。

no wait

絶望。無慈悲な言葉。

この男には生きていることそのもののなのに、老人たちにはたいした問題ではない。
昨日テレビで、デボラ・カーの映画を見たのと変わらない。いや彼等にはデボラ・カーのほうが大事だ。
さっきまで言葉に力があった。
老人から発せられた言葉は老人の言葉ではなかった。希望が息づいて、力に溢れていた。
だが、どうだ、急速に言葉が死に絶えていく。輝きが消え去り、「見なかった」と同じ意味に変わっていく。
老人たちの皺は「そうやってネズミのように同じところを駆け回るしかないんだよ」と言ってるようだ。

the day before
エルヴィスはこの世の無情をその声から映像に変換して差し出して見せる。
この老人たちのような平穏な日々はやってこないのだと。
もしかしたらこの老人たちはわざととぼけて時間を楽しんでいるのかも知れない。
悲しいはずなのに透明なほどに美しい声。


Finally got a nde with a preacher man 
Who asked where are you bound 
On suoh a cold dark afternoon 
And we drove on through the rain 
As he listened I explained 
And he left me with a prayer that l'd find you

やっと、説教師の車に乗っけてもらった
こんなに冷たい暗い午後に一体、どこに行くのかね、
と彼は尋ねた
車は、雨の中を走り抜けていく
彼は、僕の話にじっと耳を傾け
別れ際に、彼女が見つかるようにと祈ってくれた.

Finally 


やっと。自分が何者なのか、自分以外の誰かと話すことで、思い出した。
この7日間、自分が話し続けて来たのは「自分」と「君」だけだった。
いつも目の前には君しかいなかった、どんな町の風景も看板も人も「君」にしか見えなかった。

got a nde with a preacher man
Who asked where are you bound
On suoh a cold dark afternoon


説教師の親切は彼の仕事柄か、それとも人としての優しさなのか?
いまの自分には、どうでもいいことだ。
「自分」と「君」以外の人を交わることで、自分も君もまだ存在していることが感じられる。
このクルマの中はひとときの「避難所」だ。

And we drove on through the rain


このままこのクルマがぶつかってそれで終わりになったら楽だと考えてしまう。
だが、説教師の運転はそういうことにもなりそうにない。
そんな気持ちを察したのか

As he listened I explained
And he left me with a prayer that l'd find you


とりとめのない言葉に相槌を打ちながら、聞いてくれた。
もしかしたら悪魔の使途かもしれない。
「そうして探し続けるんだ。くたばるまで。そう簡単に死なれてたまるもんか。」

右手の四つの指には「L・O・V・E」の文字の刺青。左手には「H・A・T・E」の文字が。
ロバート・ミッチャムが主演、南部を舞台にしたカルト・ムービー『NIGTH OF THE HUNTER』での説教師。母子家庭にとりついた狂気の説教師。深夜枠で放映されていた。(その成功で同じような狂気のキャラクターで「恐怖の岬』に主演、グレゴリー・ペックを追いかけ回した。後にデ・ニーロでリメイク。)

that l'd find you
雨は止みそうにない。
ふと思い直す。あの説教師はなにを見つけろといったのだろうか。
不吉な予感がする。


Kentucky raIn keeps pouring down
And up ahead's another town
ThatI,ll go walkIng through
Wlth the rain in my shoes
Searching for you
In the cold Kentucky rain 
In the cold Kentucky rain 
In the cold Kentucky rain 
In the cold Kentucky rain

ケンタッキーの雨が、激しく降りしきる
目の前には、別の町
その町も、僕は歩いて行く
靴に謬みこんだ雨と共に
君を探し求めて
ケンタッキーの冷たい雨の中を
ケンタッキーの冷たい雨の中を
ケンタッキーの冷たい雨の中を
ケンタッキーの冷たい雨の中を

Kentucky raIn keeps pouring down
And up ahead's another town
ThatI,ll go walkIng through
Wlth the rain in my shoes

状況はさらにひどくなるばかりだ。靴の中にはさらに雨が入り込んでくる。
「どうだ。もう諦めたいだろう。」と言わんばかりだ。
男はどしゃぶりの雨の中にひとりで立ち、考え、空虚を突き破りながら進んでいく。
苦闘こそが賞賛に価するとでも言わんばかりに。
探しているのは君なのか、自分の墓碑なのか、男以外には誰にも分からない。

静けさを突き破る力のまわりに途方もない寂寞感がまとわりついている。


Searching for you
In the cold Kentucky rain 


ブルースが雨のように降ってくる
バレンタイン・デーはこんな男のためにある。



老人たちが出て来て、男の希望を打ち砕くようなことを平然と言い、その後説教師が出て来て、最後がハッピーエンドでなければ、やはりあの説教師は悪魔でしょう。
雨垂れで始まり、この曲のラストはどう聴いてもどしゃぶりですから。


収録アルバム

●ゴールデンレコード第5集
●メンフィスレコード
●オン・ステージ1970 アップグレード盤(ライブ)
●50 WORLDWIDE GOLD HIT
●メンフィス・1969・アンソロジー/サスピシャス・マインド
●ラブソングス






2011年11月11日金曜日

ラブ・ミー・テンダー / Love Me Tender


ラブ・ミー・テンダー / Love Me Tender

エルヴィス・プレスリーの登場はアメリカにとって事件でした。紛れもなくアメリカ社会を変え、さらに世界に影響を与えたミュージシャンであり、音楽ができることを実証した最初のミュージシャンです。しかし彼に特別な意図があったわけではなく、偶然のことですが、それが事件に発展したのはアメリカ社会を変えたからです。

人種差別の厳しいアメリカ南部、ワーカークラスでも最下層の生活保護を受けなければならない家庭で育った白人の若者が、どのようにして「キング・オブ・ロックンロール」に辿りついたか?あるいはなぜそうなったのか?

ラスベガスにあるヒルトン・インターナショナル・ホテルでのパフォーマンスを記録した映画「エルヴィス・オン・ステージ」に、単なる偶然ではなかった答えを見ることができます。

<ラブ・ミー・テンダー>を歌う場面があります。
エルヴィスは女性ファンにキスのサービスを始めます。ついにはスタッフの制止をふりきってホールに下りてしまい、混乱のなかをラウンドします。

自分はこのシーンが嫌いでした。多くの人が同じように「キモい」と思ってしまう場面かも知れません。でも何度も見返す内に、エルヴィスの気持ちがようやくわかったような気がするのです。

1970年「エルヴィス・オン・ステージ」の舞台となった、ヒルトン・インターナショナル・ホテルは、古いダウンタウンから離れた場所に建てられた当時話題の大型ホテルです。

いまでこそヒルトン・インターナショナルを凌駕する人気ホテルが続々と作られ、中心地が変わってしまったため、ダウンタウンと現在の中心地の狭間にあり、いまではいい場所にあるとはいえません。

ラスベガスもいまではすっかりテーマパーク化して、客層も変わりましたが、1970年はドレッシーな大人の遊び場だったラスベガスから、家族で楽しむラスベガスに変わろうとする始まりだったのです。
「すべてはエルヴィスから始まった」のフレーズは、ここでも適用されたようです。


当時、エルヴィス同様、ラスベガスでソールドアウトにできるのは、スーザン・ストラスバーグ、フランク・シナトラだけだと言われていました。しかし彼らのライブとは客層が全然違います。

「エルヴィス・オン・ステージ」の客席には、ニューヨーカーのような人は少なく、貯金を下ろして精一杯のお洒落をして、遠くからやってきた「田舎者」らしい人が多く見られます。もう二度これそうにもない人たち。

キモいと思っていたエルヴィスのキスは、その人たちの”やりくりして過ごすつつましい日常”に向けられた「頑張れよ」のキスだったと思うのです。

その暮らしが、どんなものなのか物心つく以前に五感を通して身体で知っているエルヴィスならでは共感です。
ファンサービスという表現で片付けられない人間への思い、いたわりが、派手な衣装と笑顔と女たらしなポーズに隠されたまま、何食わぬ顔で淡々と繰り広げられます。

来たこともない見たこともない自分の日常にはないゴージャスな場。
その緊張を汗と熱唱で興奮に変えることで、粉々に打ち砕き、ありのままの自分になれるように場を作り、それでも恥かしい女性の気持ちを自分が全部引き受けて、君はボクにキスしてくれないのと言わんばかりに手をさしのべる。

男ですよね、男。幸せにしてもらいたいとは願わない。ただ幸せにしたいだけ。
エルヴィスが愛された理由です。自分のことなら引っ込み思案になったけれど、人のためなら、誤解を恐れず、ただの一度も言い訳も説明もしなかったエルヴィス。

「みんなの顔を見せてくれないか」と言って客席に明かりを要求したエルヴィス。
ステージの姿をカメラに納めるのを拒否しなかった>エルヴィス。
こんなミュージシャンを見たことがありますか?


寡黙なままに行われた偉業。That's The Way It Is これこそが、「エルヴィス・プレスリーのロックンロール」なやり方だったのです。

印税生活をしていたエルヴィスにとって、RIAAの公式発表は、お金をどれだけ稼いだかということと同義語ですが、一方では「魂の救済の数」なのです。年月が過ぎて、利息を生んでいるようです。


クリスマスが近づくインディアン・サマーのような日に窓をあけて一度、エルヴィス・プレスリーを聴いてみませんか?

2011年11月4日金曜日

LET IT BE ME/ レット・イット・ビー・ミ一


LET IT BE ME/ レット・イット・ビー・ミ一

1970年2月19日、2度目のラスベガス・インターナショナル・ホテルでのライブアルバム「ON STAGE-FEBRUARY. 1970」に収録されて、初登場した。アルバムは、リリースされると大ヒット、瞬く間にミリオン・セラーとなり71年2 月23 日にはRIAA/ゴールド・レコードに認定された。

<レット・イット・ビー・ミ一>のオリジナルはシャンソンで、フランス音楽界の大スター、ジルベール・ベコーが1955年に作曲、自らレコーデイングしている。

作詞はピエール・ドラノエだが、1957年にはアメリカで英語版の歌詞をマン・カーテイスが作り、ジル・コーレイの歌でテレビ・ドラマに使用。ビルボードHOT100で57位にランキングされるヒットになった。

その後1960年にエバリー・ブラザーズが歌ってHOT100で7位を記録する大ヒットとなった。その後も有名ミュージシャンにカバーされたが、82年にはウイリー・ネルソンでリバイバルヒット。このヒットによって、<レット・イット・ビー・ミ一>というとエバリー・ブラザーズ、ウイリー・ネルソンを思い起こす人が多い。
その後も数多くのパフォーマーによって歌われている名作だ。ナンシー・シナトラ、竹内まりや、上々颱風などそれぞれのアレンジで歌っている。

さて、その歌詞の和訳には、苦労するフアンがたくさんいて、楽しい光景のひとつだ。なんと上々颱風バージョンでは「♪ 不思議な言葉 レット・イット・ビー・ミ一 ♪>と歌いきっている。歌の心をつかんで見事と感動してしまった。

ファンが悩むのも無理がない。♪ LET IT BE ME ♪には、いくつも意味が込められているようだ。さらにパフォーマーによって、その意味が微妙に違って聞こえるというスケールの大きな曲になっているようだ。

その点でもまことにすごいというか「私のまま」に歌わせてという「願い」が込められているようだ。



その世界的に知られた名曲をエルヴィスは、小細工せずに地響きするような見事な愛のロッカ・パラードに仕上げて、独自の世界観を聴かせてくれる。ライブ版しかリリースされていないがライブにふさわしい生命力溢れるものになっていて、エルヴィス・プレスリーその人の魂が聴こえてきて、うれしくなる。これがエルヴィスだ。

歌うこと、歌声にできることに生涯をかけた男の姿がある。エルヴィス・プレスリーは間違いなく社会を変えた。それを体験したのが「エルヴィス以前にはなにもなかった」と語ったジョン・レノンであり、ポール・マッカートニー、キース・リチャーズ、ミック・ジャガー、ボブ・ディラン、ブルース・スプリングスティーンたちで、音楽ができることを体験から学んだ彼らは、歌にできることに自分を賭けた。

一方、エルヴィスは体現者であり、先駆者たったが、恐ろしいほどの批判を一手に引き受けた記憶はあっても、社会を変えた体験の記憶はなさそうだ。エルヴィスの魂には、音楽は自分を癒し、他者を慰める愛そのものだった。「僕にその役をさせて」とエルヴィスは、傷つきながらも渾身の力で歌い駆け抜けた。
I bless the day I found you ありがとう、エルヴィス。

LET IT BE ELVIS


2010年6月12日土曜日

知りたくないの/I Really Don't Want to Know


知りたくないの/I Really Don't Want to Know

70年代エルヴィス・プレスリーのアルバムとしては、文句無しに受け入れることができた最初のアルバムが<エルヴィス・カントリー>だ。
 
 その目玉曲である<知りたくないの/I Really Don't Want to Know>は日本でも大ヒットしたC&W 。なかにし礼の詞 菅原洋一の歌で有名。どこのカラオケにもある。が、同じ曲とは思えないほど男臭さに満ちた熱唱をには胸の奥が熱くなる。

 歌詞が命のカントリーに、シンプルなメロディー。エディ・アーノルドの1954年の傑作<知りたくないの>も、そのひとつ。魂をこんがり焼く。

 エルヴィスはオリジナルの歌詞に引き裂かれたアンビヴァレンスな情念<両価感情>をぶつける。

 まず、いきなりOh,howにやられる。ワンコーラス目はしっとりと、されど、キスする姿を想像すると狂おしさが、歌詞にないYESが切なく、ラストコーラス、No Wonder year no wonderでは、心に落ちる大粒の涙が・・・うなだれて、立ち上がる男の背中を女はどう見るのだろう。

 泣き叫んでも、苦しんでも、すんでしまったこと・・・そこになにがあっても、どう解釈するかは、自分の選択・・・選択こそ自由だ。
 自由を得るための”イエス”に、<個の発見>ロックンロール文化が脈打っている。大いなる良心のもとにこそ、大いなる自由、”エルヴィス・カントリー”はその名の通り、カントリーと一線を画す。

 エルヴィス・プレスリーをカントリー・ミュージシャンと考えるアメリカ人に出
会ったことはないが、それでもエルヴィスは1966年、エディ・アーノルドと共に、カントリー・ホール・オブ・フェームに殿堂入りしている。

 尚、エルヴィスは、<知りたくないの>以外にも、エディ・アーノルドの曲から<Make The World Go Away> <How’s The World Treating You.><I’ll Hold You In My Heart ><Just Call Me Lonesome ><It’s Over ><It’s A Sin >などカヴァーしている。 いずれも絶品ぞろい。

余談だが、なかにし礼、菅原洋一の両氏が、<知りたくないの>をめぐって、それぞれの立場から自尊心を激突させて、一触即発の状態に陥ったとか。それほどまでに、心をとらえて動かした<知りたくないの>魅力は「人の本心」に届くからか。

2010年4月24日土曜日

ワンダー・オブ・ユー



ワンダー・オブ・ユー

 1970年2月19日、ラスベガス・インターナショナルホテルでのライブを収録した。
<ワンダー・オブ・ユー>は、70年代エルヴィス・プレスリーにもっともふさわしい曲だ。大上段に構えた曲だ。これだけ堂々として大上段に構えた曲を、ふと口をついてでたような歌心で歌えてしまうところが尋常ではない。

イントロ。ホーンの後を追ってすぐにドラムが刻む。

♪♪♪♪♪ Woo-oo-ooに続く、最初のWhenの声にみなぎっている「君への信頼」
2度目のWhenでこれほど確かなことはないと語る。その視線が、まっすぐ見つめていることが、すぐに分かる声だ。裏切りのない声、感謝している声だ。
♪ you give me
この曲が類い稀な信頼とやさしさに満ちた曲であることが分かる瞬間。

♪ you touch my hand and I'm king
<広い世界のチャンピオン>から時が過ぎたことが伝わる。この曲に辿り着いたプロセスがどうであれその時間が決して無駄でなかったことが聞こえてくる。
♪ you kiss to me is worth fortune
♪ fortune 宝物は誰にも多くない この曲の場合、多分ひとつだろう。

I guessーー不思議はすてきだ。
I guessーーその気持ちがすてきだ。

間奏に入る直前の♪ That's the wonder,the wonder of you
この That's the wonderを歌う顔が歪んでいるのが分かる。ただ素晴らしいと言ってるのではない。ここで言う素晴らしさは尋常ではないことを示している。

「君の素晴らしさには涙がこぼれてくる、胸を打つ素晴らしさだよ」
どんな言葉を持っても表現できない素晴らしさを語るには歌しかない。

求めるにしても、与えるにしても。表現が、これ以上ないパフォーマーの手に委ねられていることが分かる瞬間だ。

短い曲の中にひとりの一生で出会えたかけがえのないドラマを集約してしまえる凄さ。その後に続く♪ the wonder of youは笑顔を歌っている。この重さと軽さのバランスが絶妙だ。


間奏。究極の素晴らしい君を讃えるための助走だ。オーケストラとコーラスの中で、ジェームス・バートンのギターが「至高の愛」を奏でる。ギターが主役になって、エルヴィスがバックに回り、バックコーラスと一緒にハモっている。

ギターの音色の中で素晴らしい君が踊っている。エルヴィスの視線はギターの中の君を見ている。目を細めてみている。優しさが溢れる。
♪ That's the wonder,the wonder of youと感じることのできるこころが尊いと教えてくれる時間だ。J・バートンとエルヴィスが奏でる世界に、バックコーラスもオーケストラも、揺るがない愛を見る。

そして最後に。
エルヴィスとステージの全員が、力を合わせて表現する。生きることは決して悪くないことだと。最後の♪ That's the wonder,the wonder of you ♪♪♪♪で勇気をくれる。



Woo-oo-oo
誰にも分かってもらえず
やることすべてが裏目に出る時
君は希望と安らぎと
生きる力を与えてくれる
いつもそばにいて
僕がやることすべての
力になってくれる
それが君の、君の素晴らしいところ
(君の素晴らしいところ)

君が微笑めば世界は輝き
君がふれると気分は王様
君のロづけは大切な宝物君
の愛は僕のすべて

★きっと一生分からないよ
なぜこんなにも愛してくれるのか
それが君の、君の素晴らしいところ

Woo-oo-oo
When no one efse can understand me
When everVthlng I do Is wrong
You give me hope and conservation
You give me strength to carry on
And you're always there
To lend a hand In everythlng I do
That's the wonder, the wonder of you crhe wonder of you)

And when you smlle the world is bnghter
You touch my hand and I m a klng
Your klss to me is worth a fortune
Your love for me Is evenjthlng

i guess f'll never know the reason w
hy You iove me as you do
That's the wonder, the wonder of you

人生に裏目はない。




愛ピのエルヴィス・プレスリー コレクション

日本全国男前プロジェクト

ゲンキポリタンのじぶんぢから再生プロジェクト